THIS IS PHIL.

#1 東証上場篇

プロローグ

歯車は、こうして廻り始めた

 2016年11月。

 創業からちょうど11年。その成長性が評価され、東京証券取引所マザーズ市場に「企業単体での史上最少人数上場」を果たしたベンチャー企業、フィル・カンパニー。国内に数多あるコインパーキングの上空に着目し、その空間活用方法として空中店舗を創り出す「フィル・パーク事業」を展開している会社だ。上場を果たした今、組織の規模も、同社の事業も、一層の成長を続けている。
 史上最少人数上場、100棟以上のフィル・パーク展開、そして何よりも、建物の美しさ・佇まい・存在価値…ひと目見たら魅了されるフィル・パークという事業。現在の同社を見知った時、その姿に華々しさを感じる人は後を絶たないだろう。
 だが、実際は違う。ビジネスモデルの模索、フィル・パークという事業が抱えていた難題、毎年のように続く億単位に迫る赤字、リーマンショック、そして……同社は、度重なる様々な危機を何度も乗り越えてきた、まさに「汗まみれ、泥まみれ」の会社なのである。

 その波瀾万丈の歴史を現在へと導いてきた男、能美裕一。同社の創業後数ヶ月のうちに株主となり、以来、現在に至るまで12年に渡って経営に携わり続けて来た男である。  そう、フィル・カンパニーの物語は、彼の物語でもあるのだ。

 遡って、2005年のこと。
 長らくベンチャー企業の経営に携わり、ベンチャー企業に対する特別な思いを持つ能美は、自身でもまた何か新しいビジネスを立ち上げようとしていた。そんな頃、知人の紹介で出会ったのが、フィル・カンパニーの創業メンバーの一人である髙橋伸彰だ。コインパーキングの上空に、コインパーキングを残したまま空中店舗を創り出すフィル・パークという新しい事業を始めるのだという。アイデアとしては面白いものであったが、アイデアだけで走っているという感もまた拭えなかった。  同年フィル・カンパニーは創業し、その翌年、第一号となるフィル・パークが東京八重洲に完成。いよいよ会社としての成長を目指していきたいと意気込んでいた髙橋は、能美を経営陣に迎え入れようと、副社長としての参画や出資を打診する。だが、能美が詳しく話を聞いてみると、まさに現実は砂上の楼閣といえる有様だった。  アイデアすら十分に固まっていないとも言える状態。「コインパーキングの上空に空中店舗を創る、新たな土地活用」、このアイデアが誰のためのサービスで、どんな付加価値をもってして誰にどうやって提供していくのか?そしてそれを、いかにして発展させていくのか?ここがすっぽりと抜け落ちていた。つまりは、ビジネスモデルが全く存在していなかったのだ。第一号であるフィル・パーク八重洲にしても、とりあえず会社の自費で建てた。能美は、創業メンバーの「何か新しいことをやってやろう!」という情熱や必死の姿勢を感じながらも、これではやがて潰れてしまうだろう…と感じていたのだった。

 欠陥はそれだけではない。スタッフ数の異常な多さに、能美はどうしようもない違和感を覚えていた。後に史上最少人数でのマザーズ上場を果たす時ですら総勢13名のチームだった組織が、創業間もなく、売上はおろか売上の見込みもほとんどない段階で、なんと20名前後のチームを形成していた。ビジネスモデルが不明確なわけだから、これといった仕事が明確にあるわけでもない。当然、「仕事をしている風」という体にしかならないわけだ。

 「これでは、だめだ」

 そう思いながらも、能美は出資に応じることとなる。当時の能美の個人的な資金状況は決して潤沢なものではなかったし、そしてまだこの段階では、フィル・カンパニーの将来に手応えを感じたわけでもなかった。それでも、自らもベンチャー経営を経験し続け、多くの先輩たちに助けられてきた背景から、「自分も同じように応援する立場になろう」という思いに至ったからだ。このような個人からの投資を集めていく中で、VC(ベンチャーキャピタル)からの出資も得られるようになっていく。

 さらに、2008年4月には、業務委託契約でフィル・カンパニーのアドバイザーに就任。徐々に会社の内部事情を知っていくうちに、驚くべきことが分かってきた。収入はほぼない。にも関わらず毎月出ていく1千万円前後の支出。役員に支払われている謎の高額報酬。事業も経営も全く成立していなかった。見る限り、来る日も来る日も議論や推論を繰り返すばかり。どうやって事業を成り立たせていくのか、そのために何を実践し、積み上げていくのか。そういった具体的な議論は一切行われていない。企業が最低限整えていなければならないような決裁フローや書類体系も機能していない。能美にはそう映った。

 大きな希望となったのは、後に「建築部(株式会社フィル・コンストラクション)」の担い手となる、髙野隆の入社である。2008年当時、社内でまともに建築のノウハウを持つ者がいなかった中で、長きにわたって建築業界で働いてきたというキャリアを持つ男の参画は、雲間から光が差し込むようだった。「会社が潰れるかもしれない、年も越せないかもしれない」と能美が正直に伝えても、髙野の決断は変わらなかった。「地頭も良いし、柔軟。この髙野となら新しいモデルが作れる」能美はそう感じていた。

 そして、2009年。

 調達した資金が底をつき、いよいよ会社が潰れる…そんな空気が社内に立ちこめ始めた頃、能美はとうとう正式に役員に就任した。倒産へのカウントダウンが始まり、社内から人が逃げ出すようにいなくなっていった頃だ。

 能美が最初に着手したのは、会社経営に関わる書類の徹底的なチェックだ。契約書、決算書、稟議書。あらゆる書類の開示を求めたが、当初は嫌がられた。作った本人ですら分からないような混沌とした内容だったのだ。迷路の中に突き落とされたかのような状況に直面しながらも、謎解きのごとく1つ1つ向き合った。そして全ての逆算を終えたところで、能美は1つの確信を得た。

 「これは、潰れる」

 しかし、こうも思った。倒産目前の危機的な状況からフィル・カンパニーを救い出せるとしたら、自分しかいないのではないか。自分がやらなければ、すぐにでも潰れてしまう可能性が高いだろう、と。

 第二創業という言葉がある。小さな規模の会社が新たな経営者を迎え入れ、経営や事業を刷新する、というものだ。この頃のフィル・カンパニーは、能美が役員として参画したことによって、その時を迎えられようとしていた。能美が「異能の集団」と称する、才気溢れる唯一無二の組織と、アイデアだけではない「オンリーワンのビジネスモデル」を創り上げていったフィル・カンパニーの歴史は、ここから真に幕を開けていくのである。

フィル・カンパニーとは何者なのか。
そして、どこへ向かっているのか。
もっと詳しく知りたい方、興味をもたれた方はこちらをご覧ください。