PHISTORY
フィル・カンパニーの歴史東京都千代田区へ本社移転
第1号「フィル・パーク八重洲」竣工
宅地建物取引業者免許取得
東京都渋谷区へ本社移転
(フィル・パーク千駄ヶ谷に入居)
一般建設業免許取得
一級建築士事務所登録
第10号「フィル・パーク原宿」竣工
東京都目黒区へ本社移転
(フィル・パーク中目黒に入居)
第15号「フィル・パーク三鷹」竣工
※初の1階駐輪場モデル
第16号「フィル・パーク中野坂上」竣工
(初の空中シェアハウスモデル)
東京都千代田区飯田橋へ本社移転
(フィル・パーク飯田橋に入居)
第30号「フィル・パーク永田町」竣工
東京都千代田区平河町へ本社移転
(フィル・パーク永田町に入居)
株式会社フィル・コンストラクション
を設立(100%出資の連結子会社)
株式会社フィル・コンストラクション
特定建設業免許取得
株式会社フィル・コンストラクション
一級建築士事務所登録
第5回ビジネス・イノベーション
アワード2014 優秀賞受賞
eco japan cup & RIVIVE
JAPAN CUP ツインコンテスト
2014「復興ビジネス・ベンチャー
オープン部門」敢闘賞受賞
能美が代表取締役社長に就任。
当時の代表取締役副社長であった能美へと
名実ともにバトンタッチが成された
株式会社みずほ銀行とビジネス
マッチングサービス契約締結
株式会社横浜銀行とビジネス
マッチングサービス契約締結
東京証券取引所マザーズ市場に
株式を上場
(企業単体における史上最少人数)
城南信用金庫と
ビジネスマッチング契約締結
「フィル・パーク武蔵小杉」竣工
(東京急行電鉄株式会社と連携した空中保育園モデル)
SBIマネープラザ株式会社と
フィル・パークを対象とした
新ファンドに関する協定書を締結
株式会社東日本銀行と
ビジネスマッチング契約締結
株式会社バリュープランニング
(プレミアムガレージハウス企画会社)
との資本業務提携
株式会社favy
(飲食店に特化したデジタルマーケティング会社)
との資本業務提携
初のSBIマネープラザ株式会社との
ファンド案件に関する物件
「フィル・パーク上北沢」販売完了
株式会社みずほ銀行と特別当座貸越契約の締結
(借入極度額10億円)
株式会社りそな銀行と不動産
ビジネスマッチング業務に関する契約締結
株式会社バリュープランニング
(現株式会社プレミアムガレージハウス)の
株式を追加取得し、100%子会社化
株式会社三井住友銀行とファインダー
サービス契約締結
※学生の皆さんにとってわかりやすい表現として記載しています
創業者の1人である高橋と現取締役である能美が出会う。能美が高橋からフィル・パーク事業に関するアイデアを聞くも、「面白いが、アイデアだけで走っている」と感じていた。
まだアイデアがビジネスに落とし込まれておらず、第1号の八重洲は土地オーナーへのサービスではなく、自費で建てられたものだった(わずか1年で撤去となる)。仕事はほとんど無いにも関わらず、スタッフ数は過大だった。社内は「仕事をしている風」という空気。2016年の上場時ですら総勢13名だった組織が、創業間もない当時、既に20名を抱えていた。
能美がフィル・カンパニーに出資を決断。自らもベンチャー経営を経験し続ける中で多くの先輩方から助けられたこともあり、「自分も同じように応援する立場になろう」と思い至った。個人からの投資が集まれば、ベンチャーキャピタルから投資してもらえる可能性も高くなる… とも考えてのことだった。
能美の参画が始まる
能美がフィル・カンパニーのアドバイザーに就任。徐々に会社の内部事情を知っていくうちに、「収入はほぼない、にも関わらず毎月1千万円前後の支出がある」という事実を認識。事業も経営も全く成立していなかった。
現フィル・コンストラクション代表取締役・⾼野の入社が決定。当時、社内でまともに建築のノウハウを持つ者がいなかった中で、長きに渡って建築業界で働いてきた髙野の参画は希望の光となった。「年内に会社が潰れるかも…」と能美が伝えたが、髙野の士気は逆に高まった。
第2創業期の幕開け アイデアモデルを、ビジネスモデルへ
調達した資金が底をつき、いよいよ会社が潰れる…そんな空気が社内に立ちこめ始めた頃、能美がとうとう役員に就任。会社経営に関わる書類の徹底的なチェックを通して、「このままでは会社が潰れる」と確信。一方で、「倒産目前の危機的な状況からフィル・カンパニーを救い出せるとしたら自分しかいないだろう」とも考えた。能美が役員に就任したことで、ようやくフィル・カンパニーの歴史が動き出していく。
「契約と同時に、1/3が入金される」という新事業モデルを能美が着想。業界の習わしとして、契約後、工事が始まるよりも先にお金をもらうというのは非常に稀なことだったが、実現できれば経営はグンと楽になるしリスクも減る。社内には反論の声も上がったが、「付加価値のある事業に育てられなければ、ベンチャーとしてやっている意味がない。また、付加価値を生み出せれば新たなモデルも実現できるはずだ」という信念のもと、これを現実のものにしていく。
業界のならわしがどうであろうと
他社がどうであろうと、
より良く変えるべきことがあるなら変えていく。
正しいと分かっているのに取り組みもしないで
業界がこうだから無理と判断するのは
ベンチャーとして絶対に間違っている
創業以来、毎年6千万〜1億円の赤字を出し続けてきたフィル・カンパニー。能美が実態として指揮をとったこの年、初めての黒字化を実現した(当時の会計処理で26万円)。
徐々に集い来る仲間たち
現執⾏役員・肥塚の入社が決定。マンションデベロッパー(ベンチャー)に新卒4期で入社し、数年のうちに建築課長に昇進。自らの能力や可能性を更に高め、発揮できる環境を求めてフィル・カンパニーへ。「建築や不動産業界をフィル・パーク事業なら変えられるかもしれない」という想いを抱いた。そんな肥塚との面接で採用を即断。能美は一瞬でベンチャーマインドと営業職への適性を見抜いていた。以後数年のうちに、企画開発部長としてフィル・カンパニーの営業を取りまとめていくようになる。
IPO(新規上場)へのチャレンジ開始
西村の入社が決定。大手上場企業2社で経理や業務改善、新規事業やIRを担当。新卒で入社した旅行代理店では、東京証券取引所1部上場にも立ち会った経歴を持っていた。やがてIPOを目指していくフィル・カンパニーにとって、西村の参画はなくてはならないものだった。
IPOを目指すため、1名の常勤監査役が必要となる。そんな頃、大手外資系IT企業や海外での事業経験などを経て入社した金子に、常勤監査役の白羽の矢が立てられた。「この少人数や業績で、社内規則すらままならない会社が翌年にIPOなんて…!」と驚きつつも、瞬く間に社内からの厚い信頼を獲得しながら全力で務めを果たそうとする金子の姿に、能美は感服させられたという。
現執⾏役員の小豆澤が参画。監査法人でフィル・カンパニーの担当だった小豆澤が参画。上場に向けて困難かつ膨大な数の業務指示を出すも、諦めず1つ1つやり遂げて行くフィルの誠実な姿勢に感銘を受け、「退職して独立開業しても内部監査を続けさせて欲しい」と熱い提案を持ちかける。これがキッカケとなり、役員となっていく。
当時、主幹事証券会社から指導された2015年11月期に上場するための条件、売上10億・経常利益1億円を達成することという数値目標を達成すべく、全社をあげた挑戦が本格化していた。2014年には過去最高となる受注を実現し、これで上場かと思われたが…… 「2015年11月期の上場は難しい。ただし売上15億・経常利益1.5億円を達成したら…」という突然の宣告を主幹事証券会社(当時)から受けることに。やるしかないと、再び一丸となって取り組んだところ、修正された数値目標をも達成しそうな見込みが立った。しかし、結果は驚くべきものとなった。 「今期の上場はできない。いつできるのかも分からない」 このストレートな物言いに、金子は「最初から無い話だったんだ…」と悟ったという。しかし能美には想定内のことだった。
主幹事証券会社(当時)の選定をはじめ、ここまでのIPOプロジェクトを牽引してきた創業者の1人でもあった髙橋が、能美に経営トップ交代を依頼。能美はこれを承諾し、代表取締役社長に就任を決意。 もう一度IPOに挑戦するためには、能美の圧倒的なリーダーシップをもって、社内の士気を高め直す必要があった。そして社内の総意が「このままでは終われない、諦められない」に一致。IPOへの再挑戦が決まった。
トップ交代、IPOの再チャレンジへ
再挑戦が決まったその日、能美は主幹事証券会社(当時)をSBI証券に切り替え、以後、2度と梯子を外されることのないよう、過去のIPO事例を含めた入念な調査を行った。 そして、2016年を新たな上場時期に定めた。能美がもう一度…と言うのならと、社内の士気や団結力は徐々に高まり、2015年の受注件数は過去最高に。
ところが… 2016年に入った頃から、度重なる試練を乗り越えた疲労感や上場に向けたプレッシャーから、安定した受注が取れなくなった。それを乗り越えたのも束の間、受注不振等が原因となって、上場は、またも延期されてしまう。
しかし、もう落ち込むことはなかった。能美が指揮をとり「やれること全てをやろう。全員の全力を引き出すから、絶対に上場しよう」と発声。それに呼応して、全社一丸となって朝から晩まで奔走するラストスパートが展開された。その結果、月間の目標ラインの3倍となる実績が叩き出され、それがIPOの決め手となった。
東京都千代田区富士見へ本社移転
(フィル・パークKaguLab.IIDABASHIに入居)
新本社をモデルケースとして
株式会社ママスクエアと連携した
託児機能付オフィスを開発
第100号「フィル・パーク南青山」竣工
日本郵政キャピタル株式会社及び
いちご株式会社との資本業務提携
(日本郵政キャピタル株式会社及び
いちご株式会社を割当先とする
第三者割当増資により
資本金584,142千円となる)
株式会社武蔵野銀行と
ビジネスマッチング契約締結
株式会社あどばる(レンタルスペースマネジメント会社)との資本業務提携
いちご株式会社のグループ会社である株式会社セントロとの間で合弁会社・株式会社Trophyを設立
株式会社北陸銀行とビジネスマッチング
契約締結
東京証券取引所市場第一部に市場変更
フィル・カンパニー、創業
創業者の1人である高橋と現社長である能美が出会う。能美が高橋からフィル・パーク事業に関するアイデアを聞くも、「面白いが、アイデアだけで走っている」と感じていた。
東京都世田谷区にて当社設立(資本金10千円)
まだアイデアがビジネスに落とし込まれておらず、第1号の八重洲は土地オーナーへのサービスではなく、自費で建てられたものだった(わずか1年で撤去となる)。仕事はほとんど無いにも関わらず、スタッフ数は過大だった。社内は「仕事をしている風」という空気。2016年の上場時ですら総勢13名だった組織が、創業間もない当時、既に20名を抱えていた。
東京都千代田区へ本社移転
能美がフィル・カンパニーに出資を決断。自らもベンチャー経営を経験し続ける中で多くの先輩方から助けられたこともあり、「自分も同じように応援する立場になろう」と思い至った。個人からの投資が集まれば、ベンチャーキャピタルから投資してもらえる可能性も高くなる…とも考えてのことだった。
能美の参画が始まる
能美の参画が始まる
宅地建物取引業者免許取得
能美がフィル・カンパニーのアドバイザーに就任。徐々に会社の内部事情を知っていくうちに、「収入はほぼない、にも関わらず毎月1千万円前後の支出がある」という事実を認識。事業も経営も全く成立していなかった。
現取締役・髙野の入社が決定。当時、社内でまともに建築のノウハウを持つ者がいなかった中で、長きに渡って建築業界で働いてきた髙野の参画は希望の光となった。「年内に会社が潰れるかも…」と能美が伝えたが、髙野の士気は逆に高まった。
第2創業期の幕開け
第2創業期の幕開け
調達した資金が底をつき、いよいよ会社が潰れる…そんな空気が社内に立ちこめ始めた頃、能美がとうとう役員に就任。会社経営に関わる書類の徹底的なチェックを通して、「このままでは会社が潰れる」と確信。一方で、「倒産目前の危機的な状況からフィル・カンパニーを救い出せるとしたら自分しかいないだろう」とも考えた。能美が役員に就任したことで、ようやくフィル・カンパニーの歴史が動き出していく。
一級建築士事務所登録
一般建設業免許取得
アイデアモデルを、ビジネスモデルに
アイデアモデルをビジネスモデルへ
「契約と同時に、1/3が入金される」という新事業モデルを能美が着想。業界の習わしとして、契約後、工事が始まるよりも先にお金をもらうというのは非常に稀なことだったが、実現できれば経営はグンと楽になるしリスクも減る。社内には反論の声も上がったが、「付加価値のある事業に育てられなければ、ベンチャーとしてやっている意味がない。また、付加価値を生み出せれば新たなモデルも実現できるはずだ」という信念のもと、これを現実のものにしていく。
業界のならわしがどうであろうと、他社がどうであろうと より良く変えるべきことがあるなら変えていく 正しいと分かっているのに取り組みもしないで 業界がこうだから無理と判断するのは ベンチャーとして絶対に間違っている
創業以来、毎年6千万〜1億円の赤字を出し続けてきたフィル・カンパニー。能美が実態として指揮をとったこの年、初めての黒字化を実現した(当時の会計処理で26万円)。
徐々に集い来る仲間たち
徐々に集い来る仲間たち
現取締役・肥塚の入社が決定。マンションデベロッパー(ベンチャー)に新卒4期で入社し、数年のうちに建築課長に昇進。自らの能力や可能性を更に高め、発揮できる環境を求めてフィル・カンパニーへ。「建築や不動産業界をフィル・パーク事業なら変えられるかもしれない」という想いを抱いた。そんな肥塚との面接で採用を即断。能美は一瞬でベンチャーマインドと営業職への適性を見抜いていた。以後数年のうちに、企画開発部長としてフィル・カンパニーの営業を取りまとめていくようになる。
東京都千代田区飯田橋へ本社移転(フィル・パーク飯田橋に入居)
現取締役・西村の入社が決定。大手上場企業2社で経理や業務改善、新規事業やIRを担当。新卒で入社した旅行代理店では、東京証券取引所1部上場にも立ち会った経歴を持っていた。やがてIPOを目指していくフィル・カンパニーにとって、西村の参画はなくてはならないものだった。
IPO(新規上場)へのチャレンジ開始
IPO(新規上場)へのチャレンジ開始
IPOを目指すため、1名の常勤監査役が必要となる。そんな頃、大手外資系IT企業や海外での事業経験などを経て入社した金子に、常勤監査役の白羽の矢が立てられた。「この少人数や業績で、社内規則すらままならない会社が翌年にIPOなんて…!」と驚きつつも、瞬く間に社内からの厚い信頼を獲得しながら全力で務めを果たそうとする金子の姿に、能美は感服させられたという。
東京都千代田区平河町へ本社移転(フィル・パーク永田町に入居)
現取締役の小豆澤が参画。監査法人でフィル・カンパニーの担当だった小豆澤が参画。上場に向けて困難かつ膨大な数の業務指示を出すも、諦めず1つ1つやり遂げて行くフィルの誠実な姿勢に感銘を受け、「退職して独立開業しても内部監査を続けさせて欲しい」と熱い提案を持ちかける。これがキッカケとなり、役員となっていく。
株式会社フィル・コンストラクションを設立(100%出資の連結子会社)
株式会社フィル・コンストラクション 特定建設業免許取得
株式会社フィル・コンストラクション 一級建築士事務所登録
第5回ビジネス・イノベーションアワード2014 優秀賞受賞
当時、主幹事証券会社から指導された2015年11月期に上場するための条件、売上10億・経常利益1億円を達成することという数値目標を達成すべく、全社をあげた挑戦が本格化していた。2014年には過去最高となる受注を実現し、これで上場かと思われたが…… 「2015年11月期の上場は難しい。ただし売上15億・経常利益1.5億円を達成したら…」という突然の宣告を主幹事証券会社(当時)から受けることに。やるしかないと、再び一丸となって取り組んだところ、修正された数値目標をも達成しそうな見込みが立った。しかし、結果は驚くべきものとなった。 「今期の上場はできない。いつできるのかも分からない」 このストレートな物言いに、金子は「最初から無い話だったんだ…」と悟ったという。しかし能美には想定内のことだった。
トップ交代。IPOへの再チャレンジ
eco japan cup & RIVIVE JAPAN CUP ツインコンテスト
2014「復興ビジネス・ベンチャー オープン部門」敢闘賞受賞
トップ交代。IPOへの再チャレンジ
主幹事証券会社(当時)の選定をはじめ、ここまでのIPOプロジェクトを牽引してきた創業者の1人でもあった髙橋が、能美に経営トップ交代を依頼。能美はこれを承諾し、代表取締役社長に就任を決意。 もう一度IPOに挑戦するためには、能美の圧倒的なリーダーシップをもって、社内の士気を高め直す必要があった。そして社内の総意が「このままでは終われない、諦められない」に一致。IPOへの再挑戦が決まった。
能美が代表取締役社長に就任。当時の代表取締役副社長であった能美へと名実ともにバトンタッチが成された
再挑戦が決まったその日、能美は主幹事証券会社(当時)をSBI証券に切り替え、以後、2度と梯子を外されることのないよう、過去のIPO事例を含めた入念な調査を行った。 そして、2016年を新たな上場時期に定めた。能美がもう一度…と言うのならと、社内の士気や団結力は徐々に高まり、2015年の受注件数は過去最高に。
ところが…
2016年に入った頃から、度重なる試練を乗り越えた疲労感や上場に向けたプレッシャーから、安定した受注が取れなくなった。それを乗り越えたのも束の間、受注不振等が原因となって、上場は、またも延期されてしまう。
しかし、もう落ち込むことはなかった。能美が指揮をとり「やれること全てをやろう。全員の全力を引き出すから、絶対に上場しよう」と発声。それに呼応して、全社一丸となって朝から晩まで奔走するラストスパートが展開された。その結果、月間の目標ラインの3倍となる実績が叩き出され、それがIPOの決め手となった。
株式会社みずほ銀行とビジネスマッチングサービス契約締結
株式会社横浜銀行とビジネスマッチングサービス契約締結
東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場
(企業単体における史上最少人数)
そして新たなるステージへ
城南信用金庫とビジネスマッチング契約締結
「フィル・パーク武蔵小杉」竣工
(東京急行電鉄株式会社と連携した空中保育園モデル)
SBIマネープラザ株式会社とフィル・パークを対象とした新ファンドに関する協定書を締結
東京都千代田区富士見へ本社移転
(フィル・パークKaguLab.IIDABASHIに入居)
新本社をモデルケースとして株式会社ママスクエアと連携した託児機能付オフィスを開発
株式会社東日本銀行とビジネスマッチング契約締結
第100号「フィル・パーク南青山」竣工
日本郵政キャピタル株式会社及びいちご株式会社との資本業務提携
(日本郵政キャピタル株式会社及び いちご株式会社を割当先とする
第三者割当増資により資本金584,142千円となる)
株式会社武蔵野銀行とビジネスマッチング契約締結
株式会社バリュープランニング(プレミアムガレージハウス企画会社)との資本業務提携
株式会社favy(飲食店に特化したデジタルマーケティング会社)との資本業務提携
初のSBIマネープラザ株式会社とのファンド案件に関する物件
「フィル・パーク上北沢」販売完了
株式会社あどばる(レンタルスペースマネジメント会社)との資本業務提携
株式会社みずほ銀行と特別当座貸越契約の締結(借入極度額10億円)
いちご株式会社のグループ会社である株式会社セントロとの間で合弁会社・株式会社Trophyを設立
株式会社りそな銀行と不動産
ビジネスマッチング業務に関する契約締結
株式会社バリュープランニング
(現株式会社プレミアムガレージハウス)の
株式を追加取得し、100%子会社化
株式会社北陸銀行とビジネスマッチング契約締結
株式会社三井住友銀行とファインダーサービス契約締結
東京証券取引所市場第一部に市場変更
※学生の皆さんにとってわかりやすい表現として記載しています
東京都世田谷区にて当社設立
(資本金10千円)