「ようやく会社らしい会社になってきた。やっとスタートに立てた」
2014年初頭、髙野はこんな言葉を発するようになっていた。そして、フィル・カンパニーには新たに2名のキーパーソンたちが関わるようになっていた。
現取締役である小豆澤信也と、現監査役の金子麻理である。
当時、監査法人に勤めていた小豆澤は「IPOを目指そうとする会社がある」ということで、監査法人のフィル・カンパニー担当( 現場責任者)としてフィル・カンパニーとの関わりを持つようになった。上場を目指すとなると、社内のあらゆる仕組みを変えていかなければならなかったのである。監査法人の立場から課題を発見し、改善に向けた提案をする。それを、西村が社内に伝え、実行の指揮を取っていく。業務の膨大さに加え、社内からの理解を得る作業も困難を極めた。しかし、西村を筆頭に、フィル・カンパニーはそれらを一つ一つやり遂げていったのである。
小豆澤は思った。並の会社なら、とっくに諦めてしまうところも多いのに、ここは諦めない。容易ではない指示をしているというのに、それらの必要性を認め、覚悟を決めて動いてくれる。これほど少ない人数の会社にとって、決して簡単なことじゃないはずだ。
「この会社、いいなあ… 」
フィル・パークというビジネスの魅力を前もって痛感していた小豆澤だったが、業務を進めていく中で、フィル・カンパニーへの想いは一層強くなっていった。その後、監査法人を退職し、独立開業を果たしていくも、「絶対に上場すべき会社として、自分にフィル・カンパニーの内部監査を続けさせてほしい」と熱のこもった提案を行い、認められた。
IPOを目指すためには、常勤の監査役が必要となる。大手外資系IT企業を経て結婚、米国公認会計士の資格や海外での事業経験を持つ金子に白羽の矢が立った。
驚きつつも、全力で取り組もうと金子は決意していた。社内の全てを把握し、正常に会社が活動できているかをチェックする。社内からの信頼を確かなものにしていく金子の動きは実に見事なもので、能美をうならせた。
こうして、フィル・カンパニーは遂にIPOを目指せる組織へと成長を遂げたのである。
2013年12月から、IPOに向けた取り組みが始まっていた。まず、主幹事証券会社が決定し、プロジェクトが動き出す。上場に向けた指導を仰いでいく中で設定されたのが、2015年11月期に売上10億・経常利益1億という数値目標だった。それを達成できれば指定のスケジュールで上場が可能、そう告げられた。そして、前期までの業績だと到達できないこの目標に、全員が挑み始めたのである。全ては、このステップにこそ落とし穴があったということを、知る由もなく… 。
結果、2014年は過去最高となる受注を実現し、2015年11月期には売上10億・経常利益1億という目標を達成できる可能性が高い状況となっていた。このまま行けば2015年には上場できるかもしれない… そんな空気が漂い始めた頃、問題は起こった。
「2015年11月期の上場は難しいです。ただし、売上15億、経常利益1億5千万を達成したら…」
しかしながら驚くべきことに、この目標すら達成しそうな勢いにあった。そして、その状況を主幹事証券会社に報告すると、
「来期の上場はできません。いつ上場できるかもわかりません」
ストレートな物言いに、金子は「最初から無い話だったんだ… 」ということを悟った。
この理不尽な結末には、さすがのチームメンバーたちも打ちのめされていた。まさに「絶望」という言葉がぴたりと符合する光景である。
しかし、能美には想定内だった。ビジネスモデルを固め、赤字経営を脱却し、そして組織力を高め、走り続けてきた、数年にわたる挑戦の結末はあっけなかった。ここで能美は、覚悟を決めた。こうして2015 年、能美は髙橋から依頼を受ける形で、名実ともにフィル・カンパニーの経営を託されたのである。
もう一度上場を目指す。そのためには、どん底まで下がっていた社内の士気を今一度高め直す必要があった。ほぼ全社員をミーティングルームに集め、能美は言った。
「上場するということに対して、一人一人意見があると思う。もう上場なんていいよ、っていう人もいるかもしれない。もう一度と思う人もいるかもしれない。それを正直にぶつけ合おう」
やはり温度差はあるものの、個々が口々に、それぞれの思いや考えを吐き出していった。ある者は涙を堪えながら、ある者は悔しさを滲ませながら。
「このままじゃ終われません」 「諦めたくないです」
再び挑戦しよう。そんなスタッフの気持ちを得た能美は、その当日にSBI証券へと出向き、主幹事証券をSBI証券へと変更する方針を固めた。もう二度と梯子を外されるようなことがないように、何度も上場に向けた諸条件の確認をした。さらには、主幹事証券会社の情報のみならず、過去にIPOを果たした企業の事例についても調べ直し、傾向と対策を徹底したのである。
新たに設定された上場時期は、2016 年8月。
能美の覚悟と決断、そして行動は、役員・社員たちの気持ちを揺り動かしていく。能美がもう一度頑張ろうと言うのなら、やってみよう。時間をかけて、社内の士気は再び高まっていくのであった。2015年、その期の受注件数もまた過去最高を更新していた。
しかしここで新たな危機に直面する。2016年に入り、度重なる試練からくる疲れと上場を目前にしたプレッシャーから、チームは安定した受注を取れなくなっていたのだ。「上場に向けて、本当に目標ラインを達成できるのか? 」証券会社から指摘を受けるのも時間の問題だった。
管理職以上の全スタッフが早朝から集まり、前日の結果と当日の動きを共有するための対策ミーティングを繰り返した。営業・建築・管理、3部門の全スタッフが心一つに連携プレーを取ることで、少しずつ受注状況を改善していった。その甲斐あってか証券会社の審査にパスし、東京証券取引所の審査に初めて向かうことになる。
それもつかの間、また新たな危機がフィル・カンパニーを直撃する。
2016年7月、上場に向けた東京証券取引所の最終面談がキャンセルされたのである。受注が安定していなかったため、「この状態で来期の予算計画が間違いなく達成されるのか?」との指摘を受けたのだ。結果、上場は延期されることとなった。「3ヶ月、状況を見させてほしい」と。
「自分たちができること、やれること、全てやろう。みんなが持っているものは自分が全て引き出す。今日何をやったのか、明日何をやれるのかを逐一教えて欲しい。絶対に上場しよう! 」
もう落ち込むことはなかった。能美が圧倒的なリーダーシップで全体を指揮し、全社一丸となって朝から晩まで奔走する、ラストスパートと呼ぶに相応しい日々だった。その結果、月2件を目標にしていたところ、なんと6件という異例の業績を叩き出す。これが決め手となった。
2016年11月、創業から約11年。その成長性がついに評価され、東京証券取引所マザーズ市場に「企業単体における史上最少人数」での上場を果たした。長く続いた能美の挑戦の日々は、こうして一つの結実を迎えたのである。
国内にコインパーキングは、6万箇所以上あると言われており、その数は今も増え続けている。
さらに、将来コインパーキングになるような土地を含めると、フィル・パークという事業の成長性は計り知れない。2018年8月末の時点で、フィル・パークの展開数は143件( 請負受注のみで建築中のプロジェクトも含む)。
能美率いるフィル・カンパニーの本当の挑戦は、これから始まるのだ。