Episode 03

ついに黒字へ!
「5秒で決めた」新たな仲間との出会い

 能美が役員に就任して、2年が過ぎようとしていた。

 今日、明日、この契約が取れなければ会社が潰れてしまうかもしれない… そんな危機を何度乗り越えてきたことか。毎年繰り返し発生していた、約6千万から1億の赤字。まともに機能していない従業員、よく分からない業務委託先や外注先。不要なものを全て切り離して、コストの徹底的な削減に尽力し、何とか走り続けてきた。決して無計画な経営改革だったわけではない。能美は分かっていたのだ、付加価値が明確なビジネスモデルを構築できれば黒字化もさほど難しいことではないと。そして徐々にそれを確立できている、と。

 2010年、秋。フィル・カンパニーは創業以来初めて、黒字化の目処が立つようになっていた(最終的には当時の会計処理で26万という黒字)。
 とはいえ、この当時まともに戦力として機能していたスタッフ数、わずか3名。ここから次なるステージに上がっていくためには、「組織の強化」という大命題をクリアしなければならなかった。しかも、必要だったのは「将来、中核を担えるメンバー」である。時は、リーマンショックを経た、転職氷河期。一般的に考えて、有力な人材が集まるというのは期待薄だ。しかしそんな中でも転職を志す人材は、高い能力を秘めているもの。ここからのフィル・カンパニーにとって極めて重要なポジションを担うようになる、肥塚昌隆、そして西村洋介の参入である。

 その年も暮れようかという頃、まず肥塚の入社が決まった。
 あるマンションデベロッパー(ベンチャー)に新卒4期で入社し、それからたった数年のうちに建築課長に抜擢。しかしそのまま昇進コースを目指すことに強い懸念を抱き、自らの能力や可能性をさらに高め発揮できる環境を求めて29歳で退社。そんな肥塚は、フィル・パーク事業に強い可能性を感じ、そして能美はそんな肥塚に強いベンチャー適性を感じた。

 「ベンチャー向き! 」

 能美は、提出された肥塚の履歴書にそう書きなぐり、5秒で採用を決意したという。難題でも諦めずに最後まで取り組むという姿勢と、彼のロジカルな頭脳、そして営業職の業務適性を一瞬で見抜いたのだ。能美は肥塚にこう言い放つ。

「営業チームは君が作るんだ」

 当然、肥塚はこう反応する。「営業はやったことがありません」。しかしそれから数年後、彼は企画開発部長として、フィル・カンパニーの営業を取りまとめるポジションに就くようになる。適材適所を見分ける先見の明、これは能美が持つ特別な力である。
 肥塚は、フィル・パーク事業にワクワクしていた。一級建築士として、不動産・建築という業界に対する強い問題意識を抱き続けていたからだ。顧客の声をしっかりと聞き取り、コスト管理を徹底させながら顧客の要望に対する答えをしっかりと出す… さらには顧客に損をさせない。土地オーナーも、入居テナントも、そこに集う人々も、そしてフィル・カンパニーも、全員が満足し、幸せになれる。チーム皆で洗練させてきたフィル・パーク独自のビジネスモデルは、数年に渡って肥塚が感じて来た懸念に対する答えとなっており、彼の胸を打つものだったという。
 契約時に作成される稟議書を読みあさり、それらを紐解いていく。肥塚が最初に取り組んだのはそれだった。会社を成長させていくために、能美が早い段階からしっかりとプロジェクト稟議書の型を作り込んでいたものだ。フィル・パーク事業のスキームやビジネスモデルについての理解を深め、自らが理解するところとの答え合わせを行ったのだ。以来、外部企業とのライセンスパートナー契約、フィル・パークの営業、プロジェクトのマネジメント等、様々な業務に取り組み、後に取締役企画開発本部長の座に就いていくこととなる。

 「肥塚はMr.フィル・パーク」

 能美はそう断言する。それくらい、肥塚の参画はフィル・パーク事業の推進に、多大なる影響を及ぼしたのである。
 当時、VCを含め投資を受けるということは、上場する義務を負うようなものだった。フィル・カンパニーにとっても当然そうだった。IPO( 新規上場)に挑戦する、その時が近づいていた。

 肥塚の入社から1 年半、とある人材会社の紹介から、西村の採用面接が実現した。大手上場企業2社で経理や業務改善、また新規事業やIRを担当。新卒で入社した旅行代理店では、東京証券取引所1部上場にも立ち会った経験がある。その西村の存在やキャリアは、やがてIPOを目指していくフィル・カンパニーにとって、なくてはならないものだった。
 「その会社の事業に共感できるか? 」西村はずっとその考え方を大切にしてきており、フィル・パーク事業の価値や可能性が響いたところもある。しかし、西村を決断させたのはそれだけではなかった。「便利な何でも屋さんで終わりたくない」、そのことが転職のきっかけにもなっていた西村にとって、新しいことにチャレンジできる環境にも大きな魅力を感じていた。こうして2012年、西村の入社が決まったのである。
 年度の業績は黒字化できていたものの、稼いでいかないと1、2年後に会社がどうなっているか分からない… まだまだそんな状況の中で、西村はそれまでに直面したことのない現実と向き合うこととなる。それまで、始業と同時に電話が鳴り響いていたものが、たまに電話がなると皆が驚くということ。役員メンバーが最前線で本気の営業をしているということ。「能美をはじめ、役員陣が動かないとこの会社はなくなってしまう」そう感じていた。
 入社して半年の間、まず西村は肥塚とともに営業に奔走する。確実に案件を決めにいくために、自分にできることは何でも取り組んだ。土地オーナーとの出会いを獲得するために銀行回りや架電に明け暮れたと思えば、「入居テナントさえ見つかれば契約が決まる」というフィル・パークのプロジェクト案件があればテナント探しに腰を入れる。さらには、やがて目指すIPOに備えて事業理解を深めるべく、ビジネスプランコンテストにも応募し続けた。それらを経て、経営管理部門へ。社内規則や会計処理などの見直し、またコンプライアンスの管理など、上場を目指すことのできる企業体質へと変えていく必要があった。

 フィル・パークは、アイデアとして存在するとしても、それを実現させるには困難な事業である。他の大手企業が参入しようとした、と耳に挟んだこともあったが、事業として成立したとは聞いたことがない。それは、一般的にはできないとされていることが数多く存在する領域だからに他ならない。「建築基準法上、これはできません」「消防法上、それはできません」こういったことが後を絶たないのだ。かつて能美が「契約時に入金を得る」という新制度を生み出す際も、同様の壁に阻まれていた。フィル・カンパニーの強さは、「できないで終わりにせず、どうすればできるのか」という挑戦と試行錯誤の積み重ねによって壁を打ち破るというところでもある。
 入社後、半年の間、西村はその「フィル・カンパニーの根幹」に触れていた。だからこそ、西村はマニュアル主義で融通の利かない管理部ではなく、各部署で起こりうる問題を予測し、そっと声をかけたり軌道修正したりできる経営管理部としての部署づくりを目指していったのである。

フィル・カンパニーとは何者なのか。
そして、どこへ向かっているのか。
もっと詳しく知りたい方、興味をもたれた方はこちらをご覧ください。